2009年9月21日月曜日

賄い昼飯!

 忙しいランチタイムが終わって、2時ころからが、わたしたち従業員の昼食となった。入ってしばらくは、習ったばかりのラーメンを練習がてら自分で作って、それが昼食のメニューとなった。大きく平らな中華鍋にお湯を張り、沸騰させてから、その中に麺をほぐして振り入れる。軽くまぜておき、その間に、スープの方の準備をする。ラーメン丼に、小さな柄杓いっぱいのタレを入れ、胡椒を一振り、麺が茹で上がりそうなタイミングを見計らってから、寸胴鍋でブクブクと湧いている透明なスープを丼の適当なところまで注ぎ入れておく。さて、麺の方に注意して、その中の一本を指でつまみ、芯の有り具合から、茹で加減を判断し、良しとなったら、右手に上げ笊、場合によっては左に箸をもって、素早く麺を上げ、湯切りを手早くし、丼の中におさめる。麺がひとつや二つのときは、簡単なんだけど、10個ぐらい鍋に入っているときは、大変!すこし固めのかなり芯が残っている段階から、麺を上げはじめる。そうしないと、最後の10個目をあげるころには、麺がのびてしまうからだ。
 さて、麺が丼に収まったら、つぎはトッピングだ、焼豚、シナチク、ネギ、鳴門をのせて、さあ出来上がり!とはいえ、修行の身、練習中なので、わたしの昼飯になるときは、トッピングはネギをのせるだけ。ただ、わたしは、そこに大量のラー油を注いで食べるのが大好きだった。その辛みとごま油の香りがなによりのトッピングであった。わたしは、この店で働くまでラー油というものを知らなかった。餃子は好きでよく食べていたはずなのだが、いつも酢一醤油だけで食べていたのだろう。ラー油を加えた記憶がない。この店のラー油は定期的に店長が作っていた。ごま油に白絞油をくわえたものを、中華鍋のなかでグツグツと煮る。やがて、温度が上がっていったところに、大量の粉末の唐辛子を投入し、さらに時間をかけて煮詰めていく。そうして作ったものを冷ましてから、篩で漉すと、綺麗な朱色の少しどろりとしたラー油が出来上がる。
 ラーメンを卒業すると、次は、チャーハンや焼きそばなどの鍋を使う料理を教えてもらい、その失敗作が、わたしの毎日の昼食となっていった。そのあとには、八宝菜や肉団子へ移っていき
それらの失敗作もやがてわたしの毎日の昼食となっていった。
 さすがに、毎日毎日中華料理の出来損ないばかりでは可哀想だと思ったのだろう、ときには目玉焼きを桂ちゃんがつくてくれることがあったし、そのとき、目玉焼きの作り方も教わって、それ以後は自分でも時々作って昼食にした。
 あるとき、店長が大根を短冊切りにして、ボールの中に入れ、生醤油をそこにたっぷり注いで一日たつと、おいしい大根の醤油漬けが出来上がり、私たちの昼食に出してもらった。残りの大根をさらに棒状に刻んで、潰したにんにくと一緒にさっと炒めてから、醤油とラー油を注いで、大根炒めの出来上がりで、これもわたしたちのささやかな賄い昼食の食卓に上った。いただきまーす!

2009年9月12日土曜日

毎日の日課

店は正午から開店なのだが、開店前の下準備のため、10時には店に入っていた。まず、することは、料理に使う野菜などの下ごしらえだ。ランチなどに添えるためのキャベツの千切りをボール一杯になるほどに作って水に浸しておく。様々な料理に使うための、タマネギやピーマン、白菜などは短冊に切ってかごにいれておく。そのかこはガス台の周囲に並べておく。人参は、短冊や、糸切りにしたあと、茹でてから水にさらした後、水のはいった缶に浸けておく。缶詰の水煮タケノコも短冊に切ってからさっと湯にくぐらせてから水に浸しておく。ラーメンのスープをつくるために、まず豚骨を沸騰したお湯で軽くゆがいてから、流水できれいに汚れを洗い流す。きれいになった豚骨をお湯をわかした大きなずん胴鍋の中に静かに投入してゆく。さらにその上に、鶏ガラを3〜4羽分ほど、そのまま静かに入れてゆく。あとは、スープとなる湯が沸騰しないように、ぶくぶくと下から時折あぶくが沸き上がってくるくらいの温度に保つように注意していく。下ごしらえの時に出た、野菜のくずや、野菜の外革などは、そのスープの中に放り込んでおく。卵の殻もスープ表面の灰汁取りのためにやはり投げ込んでおいた。餃子の餡をつくるために、大量のキャベツを芯まですべて切り刻んではミキサーの中に水と一緒にいれて十分に撹拌し、布袋の中にそれを開けてから、体重をかけて水を絞り出す。そうしてからからになったキャベツのみじん切りはボールの中に開けておく。こうした下ごしらえをしている傍らでは、先輩の桂ちゃんがお店を穿いては、雑巾がけをしたり、さまざまな食器を整えたり、調味料の過不足を調整したり、割り箸を足したり、いろいろな雑用をしていた。桂ちゃんはわたしよりは4〜5歳ぐらい年上で、ボーイッシュなとても短い髪型をして、口数のすくない、色白な女性だった。わたしたちがこうして開店前準備を進めていると、やがて11時すぎぐらいに、チーフと呼ばれていた市田店長が出勤して来た。チーフは、京都の私立大学に在学中、中華料理店でバイトしていたらしいのだが、終いには、本末転倒、バイトの方が本業になり、大学は中退して、その中華料理店に就職してしまったらしい。そして、めきめき腕を上げ、チェーン店の一つを任されるほどになったところを、当地の社長に注目され、引き抜かれて、この金沢で、この『眠眠』の店長になることになったらしい。
 チーフは出勤してくると、わたしが準備していたキャベツのミジン切りを使って、さらにさまざまな材料や調味料を使って餃子の餡をつくり、その餡を既製品の皮で、わたしと二人で、開店までに100個ぐらい包むのだった。餃子の餡はだいたい二日分ほどあったので、次の日にはわたしひとりで100個ほど包んだ。
 こうしてすべての準備がすんでからいよいよ開店、内側に入れていたのれんを店の外に出すと、12時かっきりに、さあ、いらっしゃい!