2010年2月11日木曜日

1970、東京に立つ

 1970年の正月には、わたしは地下鉄お茶の水駅の出口に立っていた。金沢は前年の暮れに引き払って、内緒で正月の間は故郷で過ごし、松が開けてから東京に出てきていたのだ。どういう訳なのか、わたしの内なる声が、70年には東京にいろと叫んだのだ。1970年安保改定の年に東京で起こる一部始終を目撃しておけと、また内なる声がわたしに叫んだのだ。

 東京には、その3年前に入試のために来たことがあった。日大の芸術学部を受験するために来たのだが、受験のことは憶えておらず、ただ、神田神保町の古本屋街で、当時夢中になっていたアンドレ・ジイドの新潮社版全集全二十数巻を買い求め、苦労しながら、夜行列車で故郷まで持ち帰ったことだけ憶えている。そのとき、お茶の水でおりて神田古本屋街まで歩いていったことを憶えていたのだろう、この1970年にもまず、お茶の水に降り立ったのだ。

 その時のいでたちといったら、ぶかぶかの焦げ茶色のオーバーを着、頭にはやはり焦げ茶色のハンチングをかぶり、サングラスをかけた、異様な田舎者のたたずまいであったのだろう、出口から地上に出た途端に、因縁をつけられそうになったぐらいだ。

 それから、どこをどう歩いたのか、よく憶えていない。たしか、池袋の木賃宿(一泊100円か150円くらいの)に2、3日泊まったかもしれない。新宿の食堂街で朝食を食べて、結構高くつくなあと感じたのは憶えている。それから、いつまでもぶらぶらしてられないなと、新宿の電柱に貼ってあった求人ビラをみて電話すると、新大久保の事務所まで来てくれというので、言われた通りの道を辿っていくと、「あんた、お腹空いてない?カレーあるよ」と言われてカレーをごちそうになる。これが、Y新聞拡張団「S本団」の事務所だったのである。